imasara-1

写真機材の進化を見続けてきて
 私が写真を生業とした頃は、まだまだポジフィルム撮影の全盛期で、ここ一番の撮影は4X5インチフィルムで撮影する事が当然の時代でした。ISO感度はせいぜい400までで、商品写真でも数秒の露出時間は当たり前の時代です。その後デジタルカメラが出現し、近いうち簡単にフィルムに取って代わるだろうが、精密な写真のためには大型フィルムは残り続けると感じていました。しかし10年たってみればフィルムの存在は影が薄く多くの仕事はデジタルカメラに置き換わってゆきました。しかし、高感度での撮影は苦手でISO1600にでもすれば、ノイズだらけの惨憺たる結果であったことを記憶しています。さらにカメラは進化を続け、Nikon D1等初期のデジタル一眼レフから20年を越えるころには、フィルムは市場から姿を消し、画素数は5000万画素をゆうに超え、ISO感度は実用上で10,000以上となり一応の進化を遂げた印象です。AFは顔認識、瞳認識を人だけでなく動物にまで広げています。

シットリとナチュラルに風景を捉えたいと感じて仕上げた結果です。。う〜ん 何か足りないなー

このようにカメラの技術が一定の目標を達成したのが2020年ではないかと感じています。スペック上は実用上十分以上の性能を持つようになったカメラが、今後目指すべき方向はどこのあるのでしょうか。交換レンズはどんどん高性能で高額になり、欠点の無い数値上は見事な撮影機材が、お金だけ出せば入手出来る時代となりました。
 相反するように写真を生業とする私たちにとって、撮影する行為自体に「わくわく感」「高揚感」「達成感」などが薄れてゆきます。原因は「こんな写真が撮りたい」「仕上がりはこんな風にしたい」等の、撮影前ビジョンが無くても、一定の仕上がりが得られたかのような錯覚に陥る事ではないでしょうか。
誰でも押せば撮れてしまう機材と、Aiで勝手に仕上げてくれる画像加工アプリの台頭で、ネット上は一見それらしい写真であふれています。40年写真撮影を仕事にしてきて、ふつふつと原因不明の居心地の悪さを感じ、今更ながら「さらなる精進」が必要と強く感じています。

見慣れた感のあるHDR加工を加えた写真。インパクトはありますが現場で感じた感情は消えています

また、改めてモノクロ写真の雄弁さを感じます。削ぎ落とした先に見えるものは、作者の抱いた感情でありたいと強く感じます。まずは自分の心の襞に注意して写真に向かいたいものです。

下津井電鉄跡の「風の道」で感じた思いには、最終的にモノクロが一番雄弁でした。

—–続く

一億画素も手に届く?!

デジタルカメラの進化は、より緻密な写真を撮りたいという欲求と、他人とは違う一歩進んだ事をしたいという欲求によってどんどん高画素化してきました。今では無理すれば買えそうな一億画素カメラも存在していますが、AdobeCCのCameraRAWという仕組みで「スーパー解像度」という機能が追加されました。
今までも画素だけ増やす「なんちゃって」が出ては消えていますから、半信半疑でEOS R5(4476万画素)のデータで純正の現像アプリである「Digital Photo Professional 4」と対決です。比較画像をご覧下さい。

左は写真の全体像です。
レンズはRF85mmF2.0ですが、絞り開放ですので、色収差もピントが合っていない部分には見られます。

ピントの合っている右の木の下ほどを拡大しています。
部分アップはB1サイズ以上で観察したときの印象と同程度と感じられます。

Adobe Camera-RAWでデフォルト設定で
Digital Photo Professional 4デフォルト
Camer-RAWスーパー解像度 約1億8千万画素 一畳プリントも余裕

Digital Photo Professional 4ではシャープネスの調整やノイズリダクションの調整を行い、頑張って緻密で繊細な描写を心がけたつもりです。しかしスーパー解像度は素晴らしい描写でした。細部描写のための強調も感じず滑らかな木肌の質感手触りが感じられます。全く別のカメラといっても良い細部繊細の立体感は見事です。
R5の4476万画素は決して少ない数字ではありませんが、もしも、もしも、もっと緻密な仕上がりが必要な場合は「スーパー解像度」で対応できそうで安心しました。

同時に色彩の自由度が飛び抜けて高いCanonの仕組みがメインである事は変わりませんが、超大型出力等対応できる安心感は素晴らしいと思います。適材適所で使い分ける事が正しい評価の仕方と思います。
ただし良いレンズが必須なので、其方にお金が必要となりますが。

守屋クッキングスクール

守屋さんは幼なじみで、忘れるくらい長いお付き合いです。クッキングスクールの教室で写真を撮らせてもらい、自分自身のチャレンジを試す目的で撮影に協力してもらいました。今回は「普通に美味しそう」です。とかく料理写真といえばプロの技として「野菜は限りなく生」とか「味噌汁には粘りを付けて」とか様々にテクニックを語られますが、美味しそうに見終えるお料理を美味しそうに撮れば、一番自然で良い写真になると思っています。
まだまだチャレンジすることは一杯ありますね。
守屋クッキングスクールさんのHPは以下のURLです
https://www.moriya-cooking.com/

何をどのようにチャレンジしたかは恥ずかしいので内緒です

こんにちわ〜 から撤収まで15分くらいでした。次回はもう少し時間をかけてやる予定です。

下津井散歩

少し暖かかな日に、単焦点レンズ数本を持って下津井を散歩してきました。幾度となく歩いた町ですが、目にとまる景色はその都度違うようです。
無理矢理「絵にしないで」小さく心が動いた瞬間を、ゆっくりと息をするように捉えました。

水仙の花が港町を見下ろしていました。古い町の路地を優しいネコたちと散歩する、優しい時間が流れていました。

写真を見てもらいたい/井山宝福寺冬散策

多くの写真を見て頂くために、延々とスクロールしたりページをめくる作業を伴うことは、自分自身ではあまり好きではないので、スライドショーを作ってみました。

小山のFaceBookと同じ写真ですが、こちらの方が高画質に出来ました。

とっても今更なのですが、レンズの描写に拘りたくなっています。解像力も重要ですが、ピントが合わないところや大きくぼけたあたりの微妙な差です。ほんとに今更ですが。ただあまりにも高価なレンズは個人でも会社でも購入不可ですので、この2本の存在でいじけなくてすみます。

バレンタイン間近、練習作品

バレンタインも近くチョコレートが一杯店先に並ぶ季節ですね。イメージ作品としての習作を作ってみました。
先日来のピント浅め雰囲気写真の物撮り版ですね。

いろいろと、あーでもないこーでもないの結果です
形に拘る事から離れられなかったので、ならばカタログの一面を意識して、思い切ってフォルムに

風景写真やスナップ写真では、被写体はどう切り取るか、何時撮るかであって、被写体はすでにそこに存在しています。反面こうした商品カットは被写体を構成するところから組み立てるため、形より雰囲気に主眼を置く撮影はなかなか難しいものがあります。旨く同居させて仕上げるために両者を見極める目が必要ですね。
これも自分の感性という引き出し作りなので、日々練習です。

一歩進めたかもしれません

 先に大口径レンズを使う話を書きましたが、今日の山歩きでは予備で持参した標準ズームの出番は無く、F0.95のレンズで終日通せました。写真って使う道具で「何が見えるか」とか「何を見たいか」が変化するようです。しばらく使っていると、こんな写真を撮らなくてはという思い入れは無いはずなのに、自然と変化しているようです。

35mm F0.95 絞り開放で撮影
35mm F0.95 絞り開放で撮影

道具が感覚を引き出してくれるということはあり得ることと思いますが、自分の感覚の引き出しに転換するためには、永久抗体を作る様に身体に憶えさせる時間が必要ですね。
今は撮影する事がとても楽しいのです。

ブログを始めました

人と人の距離が少しずつ離れているような、さみしい毎日が続いていますが、皆さんは如何お過ごしでしょうか。先日のテレビで「元気の無い顔をしている人と話しても。前向きな内容にはならない」のような内容で、ともすればふさぎ込みそうになる自分を強く戒めました。だからブログなのかと言われれば少し違うのですが、現在はカメラマン4人の会社ですが、培ってきたものを簡単には諦めたくありません。各人が情報発信の場として笑顔と熱意で発信して参ります。

デジタルで撮影が変わったこと

デジタルカメラしか知らない世代が多数派になった今、何を今更と思われるでしょうが、変遷を見てきたカメラマンの一人として整理したいと思います。

意図的に印象に近くなるよう色彩を調整した写真

フイルム時代には色彩はフイルムの持つ特性以上でもなく以下でもないため、印象を映像に残す手段はなかなか難しいことでした。やや大げさですが、デジタルではパソコンで「如何様にも」変化させられます。昨今ではやり過ぎが否めない写真も多く目にします。撮影時に感じた「良いな!」を覚えていて、より近づけるための変化は「レタッチ」ではなく「仕上げ」と考えています。そのために大事なことは「感じること」ではないでしょうか。アプリを含むメカニズムを操作する事は当たり前ですね。「感じること」には年齢制限もなく、より敏感に見つめる心を持てるよう頑張ります。

やっぱり写真が好きです

子供の頃から半田ごてを手にしていた自分が、何時の頃からかハッキリ覚えていませんが、親父のカメラを手に自転車でうろうろして、はや半世紀を過ぎてしまいました。書いた文字を見てびっくりです。その間にプロになりフィルムが無くなってデジタルになり、暗室がパソコンに変わりました。

新しい技術があればどうしてもやってみたくなって、様々な手法を勉強してきました。今では「どうも苦手だな」とか「飽きちゃった」等で、疎遠にしているテクニックも多くあります。

最近は「本当に高画素機は必要なのかな?」とか、何十万もする「高級レンズの方が良い写真が撮れるのかな?」とかと今更のように考えます。

いわゆる安価な中華レンズで撮影しています。信頼出来ないからこそ、写り方を精査し自分の印象に近づけるという作業が必要になりますね。これが楽しいのです。